昨年末のことですが、小学校高学年向けの道徳の副読本「道徳と特別活動」(2020年1月号) にエッセイを書きました。社会人から小学生に向けてメッセージを送る「今、君たちに伝えたいこと ~子どもたちに贈るメッセージ」というコーナーがあります。過去には宇宙飛行士の山崎直子さん、空手家の角田信郎さん、女優の向井亜紀さんの著名人も寄稿しています。私は自分の人生を振り返って「今を全力で生きよう」というメッセージを子供たちに向けて書きました。
出版社の許可を得て、下にエッセイの全文を記載します。ただし、出版社に提出した私の最終原稿です。ゲラ校正をふまえた最終版については、「道徳と特別活動」(2020年1月号, Vol.36, No.10) を参照ください。
今を全力で生きよう
高校の頃、音楽が好きでした。将来は作曲の仕事につきたいと思っていました。大学への進学など考えずに作曲に没頭していました。
高3の夏、作曲の道を保留し、大学受験を決意します。大学では理学部で数学を学びました。数学の美しさに魅了され、そのときはもう、作曲はどうでもよくなりました。
大学卒業後、会社に入り、情報技術、いわゆるITの世界に飛び込みました。最初はデータベースの研究でした。コンピュータに親しみを覚えるようになると、今度は人間の知能をパワーアップさせるコンピュータを作りたい、と考えるようになりました。この領域は創造活動支援と呼ばれており、当時は人工知能 (AI) の一分野でした。
創造活動支援の研究に没頭したい一心で、会社を辞めて再び大学に行きます。今度はものづくりを行う工学部です。
卒業後、再び会社に入りました。知能をパワーアップさせるにあたり、そもそも人はどうやって考えているのか、ということに興味を持つようになります。人の知能の仕組みを解き明かしたいと思ったのです。そして、私の研究領域は、文科系の一分野である認知科学 (心理学から発生した新しい学問領域) へと移り変わりました。
現在はモニタやタブレットのデジタル機器が、人の読み書きにどういう影響を与えるのかを研究しています。読み書きのためのよりよいコンピュータを作ろうとしています。
振り返ると、興味のおもむくままに、いろいろなことをしてきました。ですが、無駄だったと思うことは何一つありません。数学の詳細は忘れましたが、数学的なものの考え方は私の思考回路に刻み込まれています。忘れようとしても忘れられない、今や私の個性の一部です。そして、その個性は工学や認知科学の研究に役立っています。全く関係ないと思える音楽でさえ、研究の役に立っています。当時はよく曲のフレーズを口ずさみ、調やテンポを少しずつ変えて気に入ったものを録音していました。その日々は、歩きながらアイデアを考える今の私の研究スタイルそのものです。
私が進路を変えたとき、会社を辞めたとき、研究分野を変えたとき、周囲は心配になったことでしょう。「将来をどう考えているのか」と何度も質問されました。明確な目的があったわけではありません。本音は「何となく」。少しましな言い方をすれば「私の直感が導いた」というところでしょうか。でも、周囲はそれでは納得しません。「数学の先生になりたい」「SEになりたい」。私の本音とは違う、周囲が納得しそうな説明を、その都度語っていました。それはもはや「夢」というよりも、周囲を納得させるための「言い訳」です。そして、そうした言い訳が私の行動を方向付けてしまったこともありました。
未来のことは誰にもわかりません。自分の心の声、直感を信じて、自分が「今」興味あることに全力で取り組みましょう。それが将来の役に立つかどうかは、あまり重要なことではないと思います。ただし、やるからには全力です。全力で取り組んで得た知識やスキルは、将来、絶対に役に立ちます。
高校、大学と進学するに従い、皆さんの専攻は細分化され、皆さんにも自分の得意分野 (専門) ができていきます。ですが、専門を変えることも怖くありません。一つの分野を極めたら、別の分野も比較的簡単に習得できるものです。問題なのは、今を中途半端に生きて、将来にも活かせない知識と経験を積み重ねてしまうことです。
教育者や保護者の方々にも伝えたいことがあります。未来について具体的なビジョンをもつのはよいことですが、そこに過度な論理性と一貫性を求めないでほしいのです。子供が「本当の自分」ではなく「あるべき自分」を説明しかねません。見るべきは、子供の説明の論理性ではなく、今を全力で生きているかという子供の振る舞いだと思います。
最後は創造を支援する研究者の立場から。創造は失敗の積み重ねから生まれます。全力でやりさえすれば、無駄な失敗はないのです。
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